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Monuments vol.16 - Merchant Seamen Memorial

2012.07.23 (Mon)




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ⓒ bonovox45 (December,2009)



アイルランドは日本と同じく周囲を海に囲まれた島国。そのせいか海との深い繋がりを示すモニュメントを数多く見かけます。上の写真も、そんな海関連のモニュメントのひとつ。リフィ川の河口にほど近い City Quay にある"Merchant Seamen Memorial"です。



ウィックローから切り出した高さ6メールほどの花崗岩の石柱と鉄製の錨(いかり)。これは第二次世界大戦中に亡くなったアイルランド商船の乗組員を慰霊するための記念碑です。



石柱の上のほうに大きく刻まれている文字は"In honour of the seamen lost while serving on Irish merchant ships 1939-1945"(1939年~1945年の間、アイルランドの商船に従事し亡くなった船員たちに敬意を表して)。



写真では小さすぎて分かりませんが石柱の下半分には第二次大戦中、アイルランドが失った16隻の船の名前が刻んであります。このモニュメントは、1990年5月7日、当時の大統領、パトリック・ヒラリー(Patrick Hillery)により除幕されました。



アイルランドは第二次大戦では中立の姿勢を取るわけですが、その間も交易は行われていました。農業関連の輸出はアイルランドにとって重要な経済の柱。農産品を輸出し、その一方で小麦・石炭・柑橘類・紅茶など国内生産だけでは需要に追いつかないものを輸入する必要があったわけです。



島国であるアイルランドの交易ルートは海上のみ。中立国である事を示すため非武装の商船の側面には三色のアイリッシュ・カラーと国名を大きくペイントし、灯りを煌々と照らして出航。にもかかわらず、(おもに)枢軸国側からの攻撃を受け、従事していた約800名の船員のうち20パーセントの方が命を落としました。



ちなみにアイルランド商船が爆撃されて生存者救援のためのSOSサインを出しても、連合国側の船は無視して素通り…という事がしばしばあったそうです。枢軸国側には爆撃され、連合国側には無視され、それでも危険を承知しながら海上へ出なければならないというのが島国の悲しいところ。



当初、アイルランド商船は航海の安全を図るためイギリス海軍による護送船団に参加していたのですが、枢軸国側の攻撃による大規模な被害や亡くなった船員への補償問題をめぐって支障が生じたことから、非武装での単独運航という危険な道を自ら選んだようです。



第二次大戦中の海上輸送でアイルランドは16隻の商船を失い、136人の乗組員が死亡。また、トロール漁船で漁をしていた14人の漁師も帰らぬ人となりました。City Quay にある"Merchant Seamen Memorial"の前では毎年11月第3日曜に、慰霊のためのミサが執り行われています。



アイルランドがらみの海難事故というとタイタニックやルシタニアのような大型客船の大惨事ばかりが注目されがちですが、ドイツによる海上封鎖により食糧が不足していたイギリスに物資を届け、アイルランドへ石炭・小麦といった生活必需品を運んできた数多くの商船とその乗組員たちの事も、記憶に留めておきたいなと思います。





無題



場所はこちら。オコンネル・ブリッジからリフィ川の南側の河岸を東へ東へ。ショーン・オケイシー・ブリッジの南側のたもと付近にあります。



アイルランド商船のお話し、まだちょっと続くんですが、長くなったので次回また。



続きのエントリー : ダブリンの道路名に残る、アイルランド商船の記憶






(2012.7.23)





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