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Monuments vol.10 - The Rebellion of Silken Thomas

2012.04.27 (Fri)





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ⓒ bonovox45 (December,2010)



ダブリン城の裏手にある Ship Street。通りの突き当たりにはダブリン城の南西の入口 "Ship Street Entrance" があります。この通りの右側には Osmond House というアパートが建っているんですが、その端 "Ship Street Entrance" に一番近い場所の壁に、数枚の絵が刻まれています。





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ⓒ bonovox45 (December,2010)


銃を構える3人の兵士。こんな絵が計6枚刻まれています。これは1534年に起きたトーマス・フィッツジェラルドの反乱を記念して造られたものです。



トーマス・フィッツジェラルド(Thomas FitzGerald)、別名 "Silken Thomas" は、当時アイルランドの政治を支配していたキルデア伯爵(Earl of Kildare)家の10代目当主。トーマスの父親、9代目キルデア伯ジェラルド・フィッツジェラルドは当時ロンドンに召喚されていましたが、1534年、ジェラルドが処刑されたという噂が流れてきます。これに激怒したのが息子のトーマス。同年6月11日、彼は140名の軍隊を率いてダブリン城を攻撃、反乱を起こしたのです。





無題



赤い丸で囲ってあるのがこの壁画のある Osmond House。オレンジ色で囲ってあるのがダブリン城です。現在は南側に庭園や美術館 (チェスター・ビーティー・ライブラリー)などがありますが、16世紀のダブリン城は上のオレンジで囲った部分だけでした。



ダブリン城は20世紀初頭までアイルランド総督府があった場所。イングランドによる支配の象徴的存在だったわけです。反乱軍は当初、Castle Street 沿いのメイン・ゲートから攻撃を開始しましたが、これはすぐに失敗。裏側の Ship Street に移動して、ここからダブリン城を襲撃したのです。



しかし反乱軍はすぐに敗退。トーマスは居城のあるメイヌース(ダブリンの西、County Kildare にある町)まで撤退しますが、1535年3月、イングランド軍はメイヌース城を攻撃。捕えられたトーマスはロンドン塔へ収監され、1537年2月3日に処刑されました。





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ⓒ bbusschots from Flickr


イングランド軍の攻撃でボロボロになったメイヌース城。現在は修復されていますが、一部当時のままの場所もあるそうです。



トーマスの敗因はいくつかあると思いますが、中でも思うように味方が集まらなかった事が、大きな誤算でした。時のイングランド国王ヘンリー8世に対抗する多くのカトリック勢力が、味方についてくれるはず…と思っていたトーマスでしたが、これが目論見違い。しかもキルデア家の敵であったダブリン大主教、ジョン・アレンを殺害した事で、すべての聖職者からの支援も失ってしまいます。



さらに悲しい事に、トーマスが反乱を起こす引き金となった「父親がロンドン塔で処刑された」という噂も、事実とは異なっていました。トーマスの父親はロンドンに召喚されていたものの、処刑はされていなかったのです。息子の反乱を聞いた父親は悲しみのあまり病に倒れ、亡くなりました。





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ⓒ bonovox45 (December,2010)


ダブリン城に向かって大砲を構える兵士。この時の襲撃でダブリン城は大きな損傷を受けたそうです。





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ⓒ bonovox45 (December,2010)



馬に乗る兵士たち。彼らの帽子には絹のフリンジ(ふさ飾り)が付けられていて、ここから "Silken Thomas(シルクのトーマス)" の愛称が生まれました。



この反乱を起こした時、トーマスはまだ21歳。若さゆえ激情に駆られて…という部分もあったんでしょうが、その代償はあまりにも大きなものでした。当時のアイルランドを支配していたのはノルマン人とアイルランド人の貴族たちで、イングランドの支配下にあるのは、ダブリン周辺のわずかな地域だけでした。しかしこの "Silken Thomas" の反乱をきっかけに、ヘンリー8世は本格的にアイルランド支配へと乗り出し、1541年には "アイルランド王" を自称。やがてアイルランドは、イングランドの植民地と化していったのです。






(2012.4.27)







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