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Historical Dublin vol.3 - Henrietta Street

2012.04.09 (Mon)



先日のエントリー で18世半ばから始まったダブリンの都市整備事業について書きましたが、今日もそれに関連したお話しです。



中世時代の細い道路の改造( 先日のエントリー 参照)と並行して新たな宅地開発が始まるわけですが、最初に開発されたのが、ノース・サイドにある Henrietta Street(ヘンリエッタ・ストリート)でした。土地開発にあたったのは、アイルランド議会の下院議員だったルーク・ガーディナー。彼は Henrietta Street を皮切りに、ノース・サイドの広い地域を次々と買い上げ、大規模な開発を行います。





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ⓒ bonovox45 (December,2010)



これが、その Henrietta Street 。ダブリンはジョージ王朝(1714-1830)時代の建物が多く現存する事から、"Georgian City" "Georgian Dublin" とも呼ばれますが、その最も古い町並みがこの Henrietta Street です。



ルーク・ガーディナーは1721年にこの土地を購入し、1720年代半ばから1750年代にかけて開発しました。当時この通りに住んでいたのは貴族、国会議員、大司教といった上流階級の人々。ルーク・ガーディナー自身も、ここに邸宅を建設し暮らしていました。



この Henrietta Street を始めとして一時は貴族社会の中心地として栄華を誇ったノース・サイドですが、1745年に初代レンスター公爵ジェームズ・フィッツジェラルドがリフィ川南に邸宅(現在のレンスター・ハウス)を建てたのをきっかけに、流れは大きく変わっていきます。



1760年代に入るとアイルランドの貴族、リチャード・フィッツウィリアム(第7代フィッツウィリアム子爵)が、リフィ川南の宅地開発を開始。貴族たちは Merrion Square や Fitzwilliam Square に次々と邸宅を建て、ノース・サイドに住んでいた貴族たちも南側へと引っ越して行きました。



ノース・サイドにとって決定的な打撃となったのが1800年に可決された連合法(Act of Union)です。連合法によってアイルランド議会はウェストミンスター議会に併合され、アイルランド選出の議員はイギリスへの引っ越しを余儀なくされます。



こうしてノース・サイドからは貴族たちが去ってゆき、残された多くの邸宅は「テネメント と呼ばれる低所得者向けの集合住宅として使われる事になります。かつて上流階級の人々が集うファッショナブルな地域だったノース・サイドは荒廃してゆき、やがてその一帯は大規模なスラムと化していきました。





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ⓒ bonovox45 (December,2010)



Henrietta Street の荒廃はスラム化していくノース・サイドの象徴とも言えます。1911年にはこの通りの15軒の家には、計835人( !)が暮らしていたそうです。どの家も詰め込まれた家族ですし詰め状態となり、通りには子供たちが溢れていました。



「ダブリン市民」 に収録されたジェームズ・ジョイスの短編「小さな雲」に、この当時の Henrietta Street の様子がよく分かる描写が出てきます。



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キングズ・インズの封建時代風なアーチの下から、こぎれいなおとなしい風采の、彼が出てきた。そしてヘンリエタ街を足早に歩いていった。

(中略)

きたない子供の大群が通りにうようよしていた。彼らは、道路に立ったり、走ったり、あけっ放しのドアの前の上り段をよじたり、敷居の上に二十日鼠のようにうずくまったりしていた。


小男、チャンドラーは彼らを少しも顧みなかった。そういうこまこました害虫のようなむらがりを、巧みにすり抜けて、ダブリンの昔の貴族たちが住んで羽振りをきかした、不気味な妖怪じみた屋敷の影をたどっていった。


「小さな雲」ジェームズ・ジョイス作 安藤一郎訳 より抜粋


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ⓒ bonovox45 (December,2010)



もちろん「テネメント」の時代は過去のお話し。現在、Henrietta Street が抱える課題は、いかにしてこの歴史的な街並みを保護してゆくかです。実際に通りを歩いてみると、住人がいて外壁などの改装が済んでいる家と、無人のまま放置されている家との差は一目瞭然。 売りに出しても購入金額に加え莫大な修繕費用がかかる事から、なかなか買い手がつかないのが現状のようです。





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ⓒ bonovox45 (December,2010)



Henrietta Street のつきあたりには、法廷弁護士のための学校 King's Inns (キングズ・インズ)があります。ここは King's Inns の裏手側。ジョイスが「封建時代風なアーチ」と描写した中央のアーチを抜けて、正面側へと抜ける事ができます。



私はダブリンの歴史が凝縮された、この Henrietta Street を歩くのが大好きです。華やかな貴族の時代からテネメントの時代へ、この通りの歩んできた栄枯盛衰を思いながら石畳の道路を歩いていると、歴史のはざまを浮遊しているような、そんな不思議な気持ちになるのです。





(2012.4.9)




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